- 附設寮「八太郎館」
- 05.COMMUNITY 美しい自然と伝統の地域文化
附設寮「八太郎館」
05.COMMUNITY 美しい自然と伝統の地域文化
大陸との玄関口として古くから栄えてきた唐津。
玄界灘の美しい海や白砂青松の虹の松原をはじめとする豊かな自然を擁する一方で、本校に隣接する「唐津城」、絢爛豪華な曳山がまちを駆け抜ける「唐津くんち」、佐用姫伝説の「鏡山」、伝統を継ぐ「唐津焼」など、多彩な魅力を有しています。
唐津くんち
寛文年間(1661年~1672年)に始まったとされる唐津神社の秋祭り。2016年11月30日(日本時間12月1日)に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産登録されました。毎年11月の2~4日にわたって開催され、「エンヤ!エンヤ!」のかけ声とともに大きな曳山(やま)が唐津のまちを駆け抜けます。八太郎館の前で祭りのクライマックスシーンが楽しめます。
唐津城
本校に隣接する唐津のシンボル唐津城は、唐津藩初代藩主、寺沢志摩守広高が1602(慶長7)年から7年の歳月を費やして築城。別名「舞鶴城」とも呼ばれる美しい天守閣は地上5階地下1階で、最上階からは虹の松原や松浦川などの美しい景色が一望できます。青空に映える美しい姿は、この地に学んだ思い出としていつまでも心に刻まれることでしょう。
虹の松原
日本三大松原の一つに数えられる虹の松原には、全長5km、幅1kmにわたって約100万本のクロマツが群生しています。全国的にも景勝地として知られ、唐津湾沿いに虹の孤のように連なる松原の緑と海の青が美しいコントラストを描いています。
旧唐津銀行本店
唐津銀行は1885(明治18)年に設立し、翌年に開業しました。設立時の頭取には、大島小太郎が就任しています。建設にあたり、大島小太郎とともに高橋是清から唐津藩英学校(耐恒寮)で教えを受けた工学博士辰野金吾の監督のもと、辰野金吾の弟子にあたる清水組の田中実が設計を担当し、装飾については京都高島屋が受け持っています。建物のデザインのスタイルは、辰野金吾がイギリス留学時代に流行したヴィクトリア様式のひとつであるクイーン・アン様式を日本化したいわゆる「辰野式」と呼ばれるもので、赤煉瓦に白い御影石を混ぜ、屋根の上に小塔やドームを載せて、王冠のごとく強調する辰野流の工夫が加味されています。
名護屋城趾
文禄・慶長の役の際、秀吉がわずか5ヶ月で築いた城は、現在は石垣のみが復元されています。大規模な城郭は屋敷や茶室なども建てられ、聚楽第に匹敵するといわれたほどの豪奢な城でした。
旧高取邸(能舞台)
明治期の炭鉱王・高取伊好の旧宅。西洋式の近代和風建築の建物で、賓客を迎えたとされる豪華絢爛な能舞台や、京都の画家による杉戸絵など見所はもりだくさんです。国の重要文化財指定。
西の浜
本校や唐津城に隣接している、玄界灘の島々が目の前に広がる景色の良いビーチです。最近はSUP(スタンドアップパドル)を楽しむ人でにぎわい、本校の生徒も楽しんでいます。
提供:唐津市