附設寮「八太郎館」

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00.STORY 八太郎館とは

1.唐津の地

佐賀県は早稲田大学の創設者である大隈重信の生誕の地であり、唐津市は藩出身の天野為之の生誕の地でもあります。天野為之は早稲田佐賀中学校・高等学校の校舎が建つ位置にあった藩の英学校「耐恒寮」で学び、政治家、経済学者として活躍し早稲田大学第2代学長に就任するなど早稲田大学や本校と深いつながりがあります。また、この唐津の地は幕末から明治にかけて日本の政治・産業の発展に向けて大きく貢献した人材を送り出した地でもあります。

寮生にとって、第二の故郷になる唐津は、九州北西部の玄界灘に面し、古くから大陸との玄関口として栄えてきた歴史と伝統が息づくまちです。

例えば、毎年11 月2・3・4日の3日間にわたって開催される唐津神社の秋祭りである「唐津くんち」は2016年にユネスコ無形文化遺産に登録され、「エンヤ、エンヤ」「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声で、14台の大きな曳山(ヤマ)が唐津のまちを駆け抜ける勇壮なお祭りです。八太郎館の前は曳山の巡行ルートで、祭りの盛り上がりを間近で楽しめます。本校横にそびえたつ「唐津城」。唐津のシンボルであり、豊臣秀吉の家臣、寺沢志摩守広高が、1602(慶長7)年から7年の歳月をかけて築城しました。天守閣の展望所からは玄界灘や、日本三大松原である「虹の松原」など唐津の雄大な景観が一望できます。その他にも、唐津出身の建築家である辰野金吾の監修で1912(明治45)年に竣工した「旧唐津銀行本店」や、豊臣秀吉の「文禄・慶長の役」で出兵拠点として築かれた名護屋城の「名護屋城趾」、1905(明治38)年に建てられた、炭鉱王・高取伊好の邸宅である「旧高取邸」があります。


唐津

2.開設および命名の経緯

本校は、学校と寮は一体であるべきと捉えて運営をしています。学校開校とともに、附設寮「八太郎館」が開設されました。大隈重信の幼名「八太郎(はちたろう)」にちなみ「八太郎館」と命名され、本寮で成長した寮生たちが、将来我が国をリードし、世界で活躍できる人材になることを願っています。

12年目を迎え寮生も中高合わせて650名を超え、あらゆる角度から運営の工夫を図っています。人格形成における重要な成長期に、同じ志を持つ仲間達と切磋琢磨しながら共同生活を過ごすことで、自主性と友愛の精神を育みつつ、正しい躾と生活習慣、並びに学習習慣を身につけ、健全な精神と身体を有する人間への成長を期待しています。



附設寮 八太郎館の基本方針
 
附設寮「八太郎館」
附設寮「八太郎館」
〒847-0056
佐賀県唐津市坊主町433-5
TEL:0955-80-7110
FAX:0955-80-7111